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    19

    『夏芽楽団交響曲』 <恋情編・特別編> “怯える小鹿の前奏曲<プレリュード>”

    僕の話をしよう。
    マルシェ・オーガスト・ブルーレインの話を。

    そして、まだ怯える小鹿だった頃の、その子の話を。

    そう……恋情に満ちるには幼すぎた、“はつ恋の前日譚”を。


    「僕の名前はマルシェ。こうみえて多忙でね。
     君と会うのははじめてだが、君とは親戚筋にあたる。
     いわば従兄弟であると言ってもいい。
     気軽にマルシェと呼んでくれたまえ」

    僕がそう語りかけると、
    うつむいているやや金に近い白金の頭が、ぴくりと揺れた。
    細く柔らかそうな毛がどこか小鳥の産毛のようだと思いながら、
    僕は握手を求め、すっと手を伸ばす。
    続いて、雪のような、
    それでいて可憐な花を思わせる薔薇色の頬を、眺めた。

    だが、もっとも僕を感嘆させたのは、こちらをみあげたその瞳だった。
    朝露に濡れたように輝く、若草色の瞳。
    だが、今更気づく。……なにか、様子がおかしい。
    この子は恥じらっているわけでも、人見知りをしているわけでもない。

    「ぼくに……」

    「ん?」
    か細い声に耳をこらすと、ブリジットはきんとする声で言った。

    「ぼくに触るな……っ!」
    ブリジットは手を押しのけた。
    いや、その身体に力など入っていなかった。
    あまりにも弱々しい抵抗。震える声、身体。

    「…触るな、と言われてもね」
    ぼくはためらわず、その手に触れた。

    こんなに震えている人間を放っておけるほど、非情ではない。
    しかし、温かい言葉で安心させてやれるほど善良な人間でもなかった。

    ぴくりとブリジットは震えた。だが、抵抗はしなかった。

    「やめろ……やめてくれ……ぼくは……ぼくには……っ」
    そんな資格はない。だから触れないで、とブリジットは言った。

    彼女は……。
    いや、彼女と言っていいかわからないが、その子は怯えていた。

    ぼくに、ではない。
    ――ああ、そうか。この子は恐らく、自分自身が怖いのだ。

    自分が触れたものを、ことごとく壊してしまうと思っている。

    その理由もわからないままに……いや、本当は知っているのだ。
    自らがたくさんのひとを死なせたこと――。

    その記憶を失ってなお、本能は覚えている。
    体が覚えている。自分がいかに死を撒き散らしたか。
    どんなに尊い未来を奪ったか。

    だから、そんな自分は、化け物だと思っている。

    優しさや愛など値しないと、自分を責めている。

    “こわい。こわい。ぼくは、自分がこわい。こわくてたまらない……”

    “でも”

    “愛して。ぼくを愛して。優しい手で触れて。ぼくに愛させて”

    そう、全身で語っていた。

    ――なんということだろうか。ぼくは、眉間を抑えたくなった。
    この子は、まったく自覚していない。
    そんな姿が、相手にどんな嗜虐心を抱かせるかを。

    危うい。 ――なんて、危うい子なのか。
    きっと、いつかこの子は破滅する。
    少なくとも、身体より先に心が死ぬだろう。

    僕はおそれた。
    この子の未来は地獄だ。このままでは。
    誰かが……救ってやらねば。

    ……いや、その、誰かとは、誰だ……?
    両親は、すでにない。家族は、離れてくらす妹のみ。
    自分以上に心を閉ざし、人形のように言葉を失った彼女に、
    ブリジットを救うことはおよそ不可能だろう。
    「ブリジット」
    誰が、ブリジットを救える?
    誰が、この怯えた小鹿に手を差し伸べるのだろうか?

    ぼくは、息を吐き、もう一度、触れた。その頬に。
    そして、柔らかですべらかなその輪郭をなぞった。

    「……っ」

    羞恥(しゅうち)にたえるように吐息をもらすその姿に、
    僕は、思わず壊してしまいたくなる感情をおさえ、言った。

    「―“ゆいね”」
    「……?」
    ぴくりと、震えが止まったのを感じて、ゆっくりと続けた。
    「唯音。君島唯音。その名の意味を、僕は知っている」

    「……?」

    こぼれおちそうに潤んだ目が、こちらを見上げる。

    「唯一の音色。この世にたったひとつの旋律だ。
     君が作った音楽は、誰かを殺すと同時に、生かすこともできる。
     君は、もう誰も殺さない。盟約は違えることがない。
     君の両親が命をかけて贈った祝福は、揺らがない。
     だから、これからは、生かすだけだ。この指先で、魂で」

    そうして、そのあまりに小さい手を包むようにして片手を握った。

    「たくさんのひとと、たったひとりの特別なひとを、救うといい。
     その時が来たなら、きっとすぐわかる。
     君のなかで動きだした旋律は、いずれ世界をも救うだろう。
     だから、それまでは――」

    ――僕が、君の従者になる。

    そういって、そのか細い身体を抱きしめると、
    ふわりとすみれの匂いがした。

    ブリジットは……唯音は、もがくように動いたが、
    構わず強く抱きしめると、もう抵抗しなかった。

    時計が一刻(いっこく)を過ぎるころには、震えは止まり、
    後には慎ましい静寂と、鼻をすするような音のみが残った。
    唯音は泣いていた。
    だが、やがて泣き疲れたのか、すやりと寝てしまった。

    身体を丸め、ちいさく寝息を立てるその赤子のような姿に、
    僕は静かな心臓の音を感じた。

    とくり、とくり、と胸が鳴る。

    この子を、守ろう。
    やがて恋をし、たったひとりをみつけるまで、
    僕は、この子のそばにいよう。

    それは、誓いに限りなく近い、気まぐれだった。

    そして、ぼくは……かの女神に出会う。

    すべてを奪っていった女神と、すべてを与えようとする女神、
    そしてすべてを包みこむ女神――。

    朝顔の3柱のうちのひとり。
    愛の女神、メリーアンが、世界に与えた……、
    もっとも愛すべき、<美しき愛の娘>に。

    そして、僕は唯音に再会する。

    鳴かない鳥、臆病なる小鹿は、果たして何になる?

    そう、これは、そんな物語でもあったのだと。

    ブリジット・スワンは、
    この少年ではなく、少女でもない美しき子は、きっと恋をする。
    その恋は、どんな愛らしい旋律を奏でるのか。

    僕はまだ知らない。 だが、それもいい、と思った。

    いまだ咲かぬ花の色を想像すると、
    この凍れる胸にも、熱にも似た鼓動を感じた。

    ――重ねていおう、これは、恋ではない。
    だが、恋するには、幼すぎるこの小鹿を、
    ぼくは妹のように、ちいさな恋人のように、愛することになる。


    ――僕は知る。
    それは、運命の前奏曲<プレリュード>であり、
    ささやかな口づけの物語なのだと。

    まだ、春にはほど遠い。
    だがその足音は、確かにその耳に、掌に、聴こえていたのだと。





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